弘川寺(大阪) |
2007年初夏。
なんとなく、大阪は弘川寺まで行ってきました。、
ここはかの有名な歌聖・西行法師終焉の地として有名です。
そう、西行法師と言えば西行寺幽々子。
東方妖々夢の元ネタとなったお寺とも言えます。
幻想郷のある一人の有名な歌聖が望みどおり、桜の元で生涯を終えた。
その桜は歌聖の死後も見事に咲き誇り続けたが、
歌聖を慕うもの達が後を追い、自尽することが多かったため、
多くの血を吸い続けたその桜は、いつしか妖力を持つ妖怪桜となった。
・・・妖々夢ではこんなストーリーで、
幽々子はその歌聖の娘でした。
まあ、訪れた動機はちょっとミーハーで、
不純な感じもしますが、こういうのを
きっかけにするのって大事だと思うんですよね。・・・ね?

弘川寺案内。
ここまで辿り着くにはかなり苦労しました。。。
最寄の富田林駅にて降車します。
弘川寺がある、河内地方へは金剛バスというローカルなバスで、向かうのですが、
この乗車位置がいまいち分かりづらく、結果、乗り遅れてしまうことに。。。
ローカルなだけあって、1時間一本程度の能力です。
時間も限られていたため、ここはVIPに、
タクシーで弘川寺に向かいました。

案内のすぐ横の坂道を登りきると、弘川寺が見えてきます。
車が一台止まっていましたが、本堂の参拝客は私だけでした。
まあ、気兼ねなく写真取れるんで良かったんですが・・・。


弘川寺の解説。
ここは修験道の開祖とされている、役行者(役小角)によって
設立された由緒正しいお寺だったんですね。
参拝してから知る私って一体・・・


中に入るとまず目に付くのがこの隅屋桜。
弘川城城主だった、隅屋興市が、奮戦の後、討ち死にをした場所だったそうです。
春だったら、このしなだれかかってる隅屋桜も咲いていたんでしょうね。
まあ、かなりの強行旅行だったので、仕方ないんですけども。


弘川寺、本堂。
この先に、目的の西行墳があるのです。
ちなみに説明にもある、本坊の庭園は、
西行記念館ともに、4,5,10,11月しか開いていません。
私が訪れたのは奇しくも6月・・・。
桜も紅葉も見れない一番微妙な季節だったかも。

気を取り直して本堂横の階段を登ります。
この辺で、妖夢と遭遇しそうな感じ。

ここが西行堂。
西行法師の墓を発見した、似雲法師が建立したという西行堂。
西行法師を慕っていた似雲法師は、その周辺に千本の桜を植えたそうな。
そしてさらに階段を登っていくと・・・

本日の目的地。
ここが西行法師終焉の地、西行墳です。
さしずめ「リポジトリ・オブ・ヒロカワ」(弘川寺の納骨所)といったところ。

西行はこの地で、七十三歳で、入寂されたそうです。
当時の七十三歳って相当長生きだったんでしょうねえ。。。

願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ
西行法師の歌でも最も有名なこの歌。
妖々夢でも実際に引用されていました。
この歌の希望通り、西行は桜の下で眠りについたんですね。

山遊道があったため、頂上を目指・・・したんですが、
はっきりいってかなりしんどいです。
上の写真は序の口で、もう道とは思えないような
道をひたすら進むことになります。
幸いヘビとかには出会いませんでしたが、
流石にスーツ(!)では限界がありましたので、途中で断念。
という感じで、弘川寺の探索はお終い。
出来れば西行妖が見たかったんですが、
初夏では探しようも無かったのは自明の理。
今度はゆっくりと、桜の舞い散る季節に訪れてみたいものです。
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