東方名所紀行 京都編 2日目



2012年8月13日。
一応7時間ぐらいは寝れたと思うので、
いざ本日の目的地へ出発。


・・・足の痛みが全然引いてねえ。







本日の目的地はまず、金閣寺。河原町からバスで金閣寺に向かいます。
バスはいいねえ。








到着後、警備員に止められる。
どうやら9時にならないと参拝出来ないようです。
金閣寺なのに降りる人が私だけだった時点で気付くべきでした・・・。




現在8時前。聞いてないぜぇ。

龍安寺なら8時からやってて、ここから徒歩二十分だから、
先にそっちへいってみたら?

うん、気持ちは有難いし、龍安寺はちょっといきたかった気持ちもあるんですが、


足がね・・・足が痛いのよ。





仕方がないので、参拝の順番を変更して金閣寺を後回しにすることにしました。







一条戻り橋


堀川に掛けられている橋。
本物の一条戻橋の一部は、晴明神社に祀られている。現在の橋は平成7年に掛け直されたものらしい。





東方との関連性は多い。けーねのスペル「一条戻り橋」はそのものであり有名だが、
鬼退治で有名な源頼光四天王の一人、渡辺綱が茨木童子の腕を切り落とした橋という説がある。
茨木童子は茨木華扇の元ネタ。








このように現在の橋は普通の橋なので特に見るべきところもありません。




晴明神社



一条戻り橋から北へ100m程行くと晴明神社があります。










安倍晴明の屋敷跡に鎮座する神社。
本物の一条戻橋の一部を使ったデフォルメされた一条戻橋も設置されている。




↑これ
となりの式神像は、人の目に触れることが出来ない晴明の式神、十二神将をイメージしたもの。
妻が怖がったために一条戻橋の下に封印したとかなんとか。


東方関連としては、藍の十二神将の宴や、橙の晴明関連のスペルカードなど。
式神といえば安倍晴明ってイメージもありますしね。



渡辺綱が、宇治の橋姫を退治したというのも一条戻り橋の上であり、
茨木童子の腕を名刀「髭切」で切り落として難を逃れたというのもまた一条戻り橋。

晴明は、綱の話を聞いた頼光から相談を受け、茨木童子の腕を封印したらしい。

しかし色々文献を見ているとどうにも上記の2つの逸話は同一のものとしか思えないですね。
とすると平家物語で語られている一条戻り橋で渡辺綱が出会った女とはどっちなんでしょうか。

おそらくは色々な伝承が関連付けられ、現在のようになったんでしょうけど。
このあたり、東方でパルスィと華扇の絡みが描かれることを期待したいですね。


何気に晴明神社は小さいながらも見所が多いのでオススメです。







こちらは晴明像。









厄除桃で、君も厄を払おう!
古来より陰陽道では桃は魔除や厄除の果物とされているそうな。







推定樹齢300年のクスノキ。
両手を当てて大樹の力を感じよう!







晴明井。
ありがたいお水。晴明の念持力で湧き出たらしい。
飲むと悪病難病が治ると伝えられている。
秀吉が最後に飲んだお茶もこの水を使ったとか。




晴明神社のお守りは五芒星があしらってあってカコイイ。
欲しかったんですが、社務所がまだ開いていませんでした。残念。


過去の夢枕獏氏の陰陽師のヒットで、一気に増えた参拝客目当てで、
晴明神社横の田島織物株式会社では陰陽師や開運グッズを売っています。








これすごい面の皮の厚さですよねw
晴明神社の真横で思いっきり勝手に販売しているという。
晴明神社側からの再三の販売中止申し入れもガン無視とのこと。

この距離ですよ?
普通に考えて晴明神社関連の公式店舗なのかと思っちゃいますよねえ。





さてここからまた徒歩の旅となります。
バスを使えないこともないんですが、バス待ってる時間で
いけちゃうぐらいの微妙な距離なんですよね。

途中で後悔しましたけどね。



千本ゑんま堂






本尊として閻魔法王を祀っている、珍しいお寺。本当の名前は引接寺。
現世と冥土を行き来し、閻魔様に使えたという小野篁(おののたかむら)が開基したとされる説もある。

東方との関連性はもちろんえーき様。
小野篁は閻魔様の補佐をしていたらしく、小野塚小町との関連性も伺える。








でかい。
怖い表情なのは、人間を地獄に行かせたくないがために
地獄の恐ろしさを伝え、嘘をつかせないように、ということらしいですね。
東方でも語られた通り、日本仏教では地蔵菩薩の化身とされている。





上品蓮台寺






ゑんま堂を出て北に向かうと上品蓮台寺が見えます。
本尊は延命地蔵菩薩。聖徳太子が創建したらしい。





こちらは東方ではなく秘封倶楽部関連。
ここから北にある京都で有名な墓地である蓮台野は、この寺の名前からきているそう。
土蜘蛛塚もあったり。




中は普通のお寺と墓地が連なり特に見所があるというわけではありませんでした。


しかし






こんなものを発見。茨木華扇はここからとったのかなーなんて。


金閣寺(鹿苑寺)


ここからはバス。今度こそ金閣寺リベンジです。







金閣寺は通称で本来は鹿苑寺という名前らしい。金閣は、鹿苑寺の中の舎利殿を指す。
1950年に一度焼失後、再建された。頂上の鳳凰像だけは本物らしい。

東方関連では「金閣寺の一枚天井」が有名。
これは金閣の最上層の天井が楠の一枚板であると伝えられていたことが元ネタ。
実際は複数枚であり、だからこそ幻想入りしてスペルカードの元ネタとなったのだろう。
輝夜が実際にはない幻想の宝物としてスペルカードにしたのかしら。






御札兼拝観券。
こういう風に拝見権が御札だったりするといいですね。風情があって。











金閣。

やっぱり池に写っている姿とセットだと映えますね。
逆さ金閣っていうんでしたっけ。
見た目のインパクトはお寺の中では随一ではないでしょうか。







頂上の鳳凰。これは本物。








龍門瀑と鯉魚石。
鯉っぽく見えないこともない石。






真ん中の水溜りにお賽銭が入るといいとかなんとか。
外人さんが投げまくってました。
お賽銭って一回しか投げちゃいけないんじゃなかったかしら。





さて、金閣寺を出てバスにて移動。
本日の最終目的地です。







その前に哲学の道。
哲学者・西田幾太郎が散策しながら思索にふけったことからこの名がついた遊歩道。
正直誰だか知らなかったんですけどね。
桜が見事で春や紅葉の季節は人で賑わうとか。






日本の道100選に選ばれている。


銀閣寺(慈照寺)


本日の最終目的地、銀角寺へ向かいます。
といっても東方関連で何かあるわけではないんですけどね。
銀閣寺までの道は商店街があります。






このあたりはにしんそばが有名なのかな?







ここで玄米抹茶シューをいただきました。
普通に美味かった。










本当の名前は慈照寺。足利義政によって開基された。
銀角と呼ばれるのは、金閣舎利殿を模して作られたという観音殿のこと。

謂れは諸説あるが、銀箔は貼られていなかったらしい。
貼る予定だったが義政が他界した、財政難だった、日光の加減で銀に見えたからなど。

よく通は金閣より銀閣を好むとか聞きますが、
ド素人の私はいまいち良さが伝わって来なかったです。


しかし金閣と比べるならば、銀閣以外にも見所があるのが良かったのかな?
イヤフォンの音声ガイドシステムもあったりします。












銀沙灘と東求堂。

向月台。

白川砂という砂が多く使われていて、この砂は光の反射率が高いのが特徴。
電気のない昔は、月の光をこの銀沙灘や向月台に反射させて明かり代わりとしてたらしい。

夜見てみたいものですけど、普通に電気の明かりがあるだろうなあ・・・。







で、銀閣。



銀沙灘や向月台とセットのが趣とやらがあるのだろうか。







展望台からパチリ。







さて、二日目は用事もあるし早めに帰りたいと考えていたため、
食事をして完了の予定です。


バスで祇園へ。








花見小路通に突入します。







ここもまた京都!って感じの趣のある店構えが連なっています。
こういう通りは歩いているだけで結構楽しい。










藍と橙。







こいしちゃん。











そしてここが目的地。侘家古暦堂。
鶏料理が楽しめるちょっとオサレなお店。いろいろな方がこの店の石焼親子丼をオススメしています。






私ももちろんこの石焼親子丼を食べてみました。







親子丼の前に鶏がらスープ。これも鶏の風味がすごくあって、
かつあっさりとしててウマーでした。







で、これ。

これは美味い!卵を混ぜたご飯が器の熱で薄焼き卵で包んだ感じになって香ばしい。
素材に色々こだわっているみたいです。
ダシダレをかけて味に変化をつけてみてもいいですね。







さあ、腹もいっぱいになったところでそろそろ帰還、と思ってたんですが、ここは祇園。






そして目の前には八坂神社があるのですよ。

本来の目的地ではなかったですが、






せっかくだから俺はこの赤の門を選ぶぜ!


八坂神社

7月の祇園祭で有名。全国2300社の関連神社の総本山。
主祭神は素盞鳴尊(スサノオノミコト)、櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)、
そして二人の8人の子供の八柱御子神。

末社に建御名方が祀られているが、直接東方との関連はない。








えべっさんを撫でて招福のご利益をば。








大国様と白うさぎの像まであったりする。









本殿は、流石総本山だけあってスケールがでかい。


末社として大国様が祀られているだけあって、
縁結びのご利益もあるようで絵馬がハート型だったりします。


しかし・・・







思った通り、痛絵馬がそれなりに多い上に神奈子様書いてる人多すぎな。
いや、あの・・・神奈子様関係ないからね?

聖地巡礼は正に私もしていることですし、悪いことでは勿論無いと思うのですが、
こういった絵馬は少しは空気を読むべきだとは思うし、
なにより原作ファンとしては、せめて少しぐらい調べてから参拝して欲しいなあ、とか
偉そうなことを思ったりしました。

これが長野の諏訪大社にあったのなら私的には全然OKだったんですけどねえw
もしくは櫛稲田姫命関連で、穣子が書いてあったのなら良かったですね。
つれー古参の立場つれーわー(チラチラッ



ちなみになぜ八坂神社が八坂神社というのかというと、
元々は祇園社という名前だったのが、明治維新の神仏分離令によって、改称されたらしい。
で、八坂というのはこの時代の当地では高句麗系の渡来人氏族が力を持っており、
彼らが「八坂造(やさかのみやつこ)」と呼ばれていたことに起因しているみたいですね。












ということで、今回の旅は無事終了!

いきなり新幹線が遅れて時間が押したり、うだるような暑さだったり、
すずめが冬季限定だったり、道間違えたり、
朝っぱらから雨が降ったり、金閣寺が開いてなかったり、と
色々な問題が起こりましたが、総じて非常に満足出来る旅でした。

京都って人が冷たいとか飯が高いとかあまりいいイメージがなかったのですが、
実際訪れてみるとそんなことはなく、非常に気持良く旅が出来たと思います。

長野みたいにコンビニ求めて彷徨う、なんてこともないですしw


京都は、東方関連でもまだまだ行きたいところがあるので、
近いうちにまた旅行したいと思います。








終わり。